めがねザルの日記
「ふるさとの自慢や思い出」
2007/08/04 10:16
私の生まれて、育ったのは大阪の西成区天下茶屋と
言うところです。いまでは「ボクシングの亀田」の出身地と
して有名になっていますが、天下茶屋と言う地名は、大昔
大公秀吉がこの地の茶屋でお茶を飲んだところ、大変美味く
「これは天下の茶屋だ!」と言った事から『天下茶屋』と言う
地名になったと、小学生の頃に習った記憶が有ります。しかし、
当時の大阪の西成は「ガラ」が悪く、東京の山谷と並び称される
浮浪者、組員、水商売関係の方々が多い地域でした。
高校生の頃、パチンコ屋で仲が良くなったオジサンがいて、
喫茶店でコーヒーをよくおごってくれました。ある時、銭湯で
そのオジサンに会ったら、腕と背中に大きな刺青が彫ってあり、
背中の刺青柄は「赤い鯉」でした。すすけた鯉の赤色が、風呂に
入ると綺麗な赤色にみるみる変わるその色彩はビックリしました。
あの飛び跳ねる鯉の赤色は今でも脳裏に焼きついています。
同じ中学の同級生も暴力団に入った人もいますし、そんな
生活環境やガラの悪さが嫌で、24歳で西成を出てしまう
訳ですが、何故かゴミゴミした雰囲気や人情味に溢れた
あの頃の事を、ふと思い出したりしてしまいます。
8/12に中学の同窓会が西成であり、胃の病で入院して
いましたが、同窓会だけは出たいので参加に○して
返信ハガキを投函しました。ガラが悪く、組員と水商売の
おねえちゃんばかり住んでる街でしたが、「住めば都」の
言葉通り、少年時代の思い出が詰まった街と言えます。
コメント (4)
良く、テレビで見る、大阪のおばちゃんですか?
母親は大人しい人なんで、ズケズケとはシャシャリ出ないです。
大阪のおばちゃんは恥がナイのか・・ドンドン喋るタイプですね。
読んでいると、まるで『じゃりんこチエ』(大阪の町をベ~スにしてたマンガだと思うんだけど)を髣髴させる、なんか人情味あふれる~町だったんですニャ♪
私が住んでたのは茨木、6歳で岐阜に移ったんで~ほんわかとある記憶しかナイんですが~父母がやりとりしている年賀状とかを観ると~『こういう事あったな~』って思い出されますよん♪
当時はガラの悪い街の環境がイヤでした。(๑→‿ฺ←๑)
「じゃりんこチエ」は新世界あたりの事と思われますが、
ほぼ同じですが、大阪は元々ガラの悪い地域環境が多い
ですね。
しかし、歳行くと昔の事がほのぼのと思い出されます。
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