『私と体操について』 塚原光男
私は人のできないことをやるのが好きな少年でした。中学一年の時に体操競技というスポーツに出会い、まさにこれは人が簡単にできる世界ではないと感じ、大変興味をもって体操競技の世界に入りました。体操競技の世界で、「人のできないことをやろう」、「人のやってないことをやろう」という強い想いがきっかけでした。
その後、大学の三年の時に、オリンピックの選手に選ばれました。前年まではオリンピックというものは、全く別の世界のことのように思っていましたが、嬉しかったですね。そこからオリンピック日本代表選手としての生活が始まったのです。
しかし、代表選手になっても、私はあまり「勝つ」とかそういうことに興味はありませんでした。人のできないことに挑戦することがとにかく好きで、その結果、インターハイでの2連勝など良い成績をおさめることができました。大きな大会においても「優勝する」ということにあまり意識は向いていなかったのが事実です。いろんな技に挑戦することに夢中になって過ごしていました。これは体操を始めた当時となんら変わりませんでしたね。
オリンピック代表になって、オリンピックのすごさだとか、国民の期待やまわりの期待であるとか、そういうものを背負いながら演技することの厳しさを体験しました。しかしそういったプレッシャーを感じるよりも、まだ見ぬ色々な技に挑戦することの楽しみの方が遥かに上回っていたのが、最終的によい結果よい結果へ結びついていったのだと思います。たとえば「月面宙返り」は、新しい一つの技の完成型ではなく、それに付随する新しい技術開発は僕が全てやったし、可能性があれば何にでも挑戦したことで高得点につながっていたのだと思います。
今振り返ると、体操競技というスポーツを楽しんでいたという感じがします。技への挑戦。自分を鍛えて、また新しく技を生み出す、そのことが体操競技の醍醐味だと思っています。その結果として、メダルや勝利がある。もちろん、その舞台の瞬間に近くなった時には、メダルとりたい、勝ちたい、という気持ちは当然ありましたが、エネルギーになっているのは、何か技に常に挑戦しているという面白さや、試合でうまく成功するかどうかの駆け引きなどに興味と感動を持っていました。私にとって、体操とは試合があり、演技を披露できる場があり、新しい技に挑戦する楽しさがある何事にも変え難い魅力的なスポーツでした。
スポーツと地域の関わり合いについて
日本の体操界が80年代以降低迷した理由に、学校体育の中で体操の指導者が少なくなってきたことが一番大きいと私は考えます。それまでは、器械体操というものが、学校体育の基本ととらえられ、日本国民だったら全員、器械体操でとりあえず身体を鍛えろという時代がありました。しかし、スポーツの多様化が始まり、指導される先生の方針として、難しい体操と言う特殊なスポーツよりは、集団でできる楽しいボールゲームの方についつい時間を費やすようなことになっていったことに起因すると思います。
選手の立場から考えても、体操競技の世界はどうしてもピラミッド型の分布になってしまいます。世界で活躍できるトップは限られています。かつては学校体育も当然のごとくトップ選手を養成することに関わっていました。器械体操の普及の部分だけでなく、選手養成 の部分にも学校体育が深く関わっていました。そういう時代があったのですが、だんだん体操競技の技が高度化するにしたがって、学校の施設とか環境だけでは、対応できなくなってきたわけですね。
技術が高度化した結果、選手も指導者たちからも体操離れが起きてしまいました。しかし、この頃に民間のスポーツクラブが体操教室をやり始め、どんどん普及しました。そこに通う子どもたちが増えてきたおかげで、今まで学校体育ができなかった部分を今度は、スポーツクラブが補うようになり、新たなフィールドで地域に体操が根付いていきました。
体操だけに限りませんが、民間のスポーツクラブが普及し、あらゆるスポーツが学校から民間に移ることにより、お習い事として普及します。そういう流れの中に、体操も乗ったということです。体操は施設や費用の理由があり、かつては学校体育でなくてはできなかったことなのです。お習い事としての体操というのは、民間ではかつてはできない時代でした。しかし、普及と強化を一緒にやってきたスポーツクラブが80年代を過ぎてどんどん地域にできてきて、今の構図が出来上がったのだと思っています。
日本の体操は、かつて強かったという強みがあります。私の世代の人たちが一生懸命青春をおくっている時に、多くの人が体操競技を観ていました。体操イコール体育は昔から変わらないのですから。日本の国技です。誰しもが、跳び箱、鉄棒、マットをやったことがあります。体操は、普通の日常生活以外のいろんな動きをしますし、身体の色んな神経に刺激を与えてくれます。もっともっと体操というものが地域に根付いていくような活動をしていく使命が私にはあると思っています。
塚原光男(つかはらみつお)
・日本体操協会副会長
1968年メキシコ五輪、1972年ミュンヘン五輪、1976年モントリオール五輪へ3大会連続出場。
モントリオール五輪では、日本オリンピック史上初の体操・団体総合で5大会連続金メダルという偉業に貢献。跳馬の「ツカハラ跳び」、鉄棒の「月面宙返り(ムーンサルト)」で2大会連続個人金メダルを獲得するなど、独創的な大技を編み出し、「体操ニッポン」の黄金時代を支えた。
現役引退後は、朝日生命体操クラブ総監督として後進の指導にあたり、協会・連盟・JOCの重役を務める。
千恵子夫人(旧姓:小田)は体操コーチ。長男:直也氏も2004年アテネ五輪で体操団体金メダルを獲得したことは記憶に新しい。
スポーツをキャスティングするCaSpo http://www.caspo.jp/
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